1980年代前半ソ連(現ロシア)は世界選手権Bランクの大会に出場しなければならないほど、代表チームの状態は良くありませんでした。ガギン選手らベテランの頑張りはあるものの徐々に機動性を求められる試合展開にフィットすることが出来ないでいました。しかしそこから一気に代表チームの情勢が変わります。ウラジミール・マキシモフという豪将を得て、若手の育成を国内リーグからスタートさせ、1988年のソウルOGでは圧倒的な強さで金メダル奪取に成功しました。私も1986年だったと思いますが、代表選手としてイタリアで開催された世界選手権B大会に出場しました。その時のロシアの強さと言ったら驚くというレベルを超えていました。すべての攻撃は速攻から得点、左サイドのカジャゲービッチは大会通じて100%のシュート確率、対角右サイドのユリ・シェフソフ(ベラルーシ代表監督)においても90%に近い数値をたたき出していました。もちろんバックプレーヤーはアタビン&ツチキンの大砲が休むことなく稼働。とんでもない試合を展開していました。
Bランクの国が一気に世界のトップに返り咲き1990年代では名将ベンクト・ヨハンソン率いるスウェーデンと世界王者の覇権争いを10年間演じるまでになりました。もちろん多くの要因があったと思いますが、私が掴んだ情報では、マキシモフ監督が代表監督就任後行ったのは、国内リーグの試合方法の変更でした。通常前後半60分のハーフタイム10分で試合構成されていたものを1クオーター15分のクオーター制にしました。バスケットのような試合構成にしたらしいのです。
以下、日本リーグのチャレンジとして提案します。
1)ロシア・マキシモフシステムの導入。
1クオーター15分、4クオーター。各クオーター間のレストは4分~5分。
タイムアウトは3回(1~3クォーター各1回)。
試合出場メンバーは14名登録公開。プラス2名は、覆面プレーヤー。
(ただしマスクは着けない。)
各クオーター勝ち2P、引き分け1P、負け0。5点差以上はプラス1P。
点数は持ち越さず、各クオーター毎回0:0からスタート(バレー方式)。
2)ディビジョンチームとの「交流戦」
JHLとディビジョンとの入れ替え戦は行われなくとも、試合を行うことで、
JHLチーム:選手層強化に充てられる可能性が高い。→選手の雇用につながる。
ディビジョン:各選手のモチベーションアップ→選手がJHLにアピールできる。
チームの成績による入れ替えはないものの、コーチングスタッフや選手個々の入れ替えは可能。
もちろんポイントは加算。
3)メインラウンド&ファイナルラウンド(FINAL4)の導入
シーズンマッチ終了後、メインラウンドに突入。シーズンマッチ上位8位までが出場。
1位チームから5位~8位チームを選択。ポイントは持ち越し。
上位4チームがファイナルラウンドに進む。1位vs4位、2位vs3位。ポイント持ち越し。
ホーム&アウェイ方式。
4)上位2チームがプレーオフ。ファイナルラウンドまでのポイントは消滅。1位2P。2位0P。
代々木、東京、駒沢、あるいは1位チームのホームで2回戦。
*日本選手権をホーム&アウェイ方式に。準決勝からFINAL4(3位決定戦行う。→
次年度に何かしらの+αを)
強者が常にベストを尽くさなくてはならない。弱者のモチベーションが上がることで、質の高い試合を展開できる。消化試合を少なくし、シーズン最後まで観客をスポーツホールへ。選手層を厚くすることとスタッフの役割を分担する必要性があるため雇用促進につながる。監督&コーチングスタッフの「力」を図りやすくなるため正しい「競争」が始まり、選手たちが良いコーチングを受けられる。
良いコーチングを受けられることがクラブや企業にとって有益な人材育成になる。
ただし、選手のけが、活動予算の獲得、レフェリー含めた運営スタッフ並びに施設の確保、などの負担がかさむ。
Is it difficult or impossible?