一人称は話し手、二人称は聞き手、三人称は第三者、と国語辞典にはある。
日本昔話の絵本などを題材に「人称」を変化させてみてみると文脈が大きく違ってくることがわかる。
トレーニングやゲーム、組織の活動などの最中、何かしら起こった際に良し悪しを判断するには、この人称を一人称、二人称、三人称、のどこに置くかでその後の対応に差や違いが出る。
トレーニングは6:6の攻防におけるSwitchDFのシステム上の確認と強化。左BPのアタックから逆側のNo2の外側からブレイクスルーにて失点。試合間近だったこともあり、かなり険悪なムード。大方のプレーヤーがNo2とWingに問題ありとなったわけだが、果たしてそうだろうか? これが人称を間違っている一つの典型的な例。
失点の原因を分析するに、攻撃の始まりであった左BPを守るDFが簡単に利き腕を外すことにより、隣のDF全てにマイナスの影響を及ぼしている。昨シーズンのプレーオフ準決勝車体の攻撃、左BP木切倉のアタックから吉野が中央からDF玉川のブロックに多少かかりながらも得点した。車体メンバーが「吉野」を評価しているうちはOFの再現性はないと考えられる。対する大崎メンバーが「玉川」に解決を求めているだけでは次も同じ状態を作られることを覚悟する必要あり。車体は木切倉のアタックとPVのスクリーンを評価すべきであり、大崎は利き腕を外されたNo.2の位置取りを修正すべき。
単純にゴールを許す場面だけ切り取って責任を転嫁していてはいつまでたっても問題は解決しない。ちなみにこの時のTV解説はというと……….
「自分に何が出来たか。」「何かを間違ったか。」「何をしなければならなかったか。」
人称を変換する事で、次へのステップをポジティブに捉え更なるレベルアップに挑むか、ネガティブに捉えてしまって負の連鎖に呑み込まれるか、折角だから「明るく」進みたい。すぐ「俺はやってる。」っていう人は気をつけた方がいい。往々にして「やってない」。
ただ、高校時代試合で味方がシュート外した時、監督から「主将の酒巻が悪い。」って。
これだけは違うぞって感じ。やっぱり今考えても、シュート外した奴が悪い。どう考えても… やっぱり「ハイ」って言うべきではなかったなあ…