vol.12『「人間力なくして競技力向上なし」について思うこと。』

ナショナルトレーニングセンターの宿泊棟に渡る通路の一番端の壁に「人間力なくして競技力向上なし。」の文言が掲示されている。ナショナルトレーニングセンターがスタートしたのは2008年から(実は中東の笛の際にハンドボールが開所前利用をさせてもらっていた。)。その時にはそのような掲示物はなかった。今では利用するアスリートが必ず目にする。代表合宿の際、昼休憩時にはスポーツバッグを枕に体育館のフロアーで直寝していた我々世代には全く夢のような施設である。(2012年当時の代表選手たちは「地獄」と認識していた模様。)
そのような施設のため多くの競技のスタッフやアスリートが集い日々研鑽をつむわけだが、時には宿泊棟の各階に設けられた「リビング」で一杯やりながら情報交換することも我々コーチングスタッフには貴重な時間となっていた。そのような時に必ず話題になるのがアスリートの強化プロセスについてである。多くのアスリートが様々な壁や山を乗り越えて今があるわけだが、トップアスリート誰もがストレートな努力のもとに順風満帆な道を歩んできているわけではない。そのような話を聞くにつれどうしても「人間力なくして競技力向上なし」とは???にならざるを得ない。多くのコーチから「○○選手は競技に救われたよ。」「アイツは○○続けて良かったよ。」という話をよく聞いていた。もちろん私の周りにもハンドボールに触れることでアスリートとして成長した人間をたくさん見てきた。となるとこのような表現が正しいのではないかと思う次第。
「競技力向上に取り組むことで人間力が磨かれ、更に競技レベルを上げることが出来る。」
となるのではないかと。
日本サッカーの父と言われるクラマー氏は「サッカーは子供を大人に成長させる。大人を紳士淑女にする。」と説いた。大英帝国は世界各地の植民地をコントロールするために本国の劣悪な環境である寄宿舎でスポーツを通じてエリートを育て植民地のリーダーとして派遣した。このような経緯を知るにつれ「人間力なくして競技力向上なし」とは順序が逆なような気がしてならない。悪い言い方をするなら「人間力が備わっていなければ競技力向上を望めないのか?」と。どうしても組織の都合が優先される表現と思ってしまう。もちろん多くの代表選手は国費を活用させて貰って競技力向上を目指しているし、オリンピックはその最たるものであるが、日々普及・強化に時間を費やすコーチたちの目の前には様々なバックボーンや環境に身を置くアスリートや選手が現れる。組織に都合のよい聖人君子などはごく少数であろう。
コーチの皆さんのコーチング力をもってアスリートの人間力を高めてあげましょう。簡単ではないが、挑むには十分価値ある仕事だと思います。サッカー協会田嶋会長は指導者研修において常々こう言われます。「アスリートを変えられるのはコーチの皆さんしかいない。」と。スポーツ&コーチングの醍醐味はまさしくここにあり、と思うのは私だけでしょうかね?  武運長久祈念!

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