昭和から現在まで時間の経過によって変わるものと変わらないものがある。指導スタイルもその一つ。昭和の選手時代には「コーチング」なる言葉すらなかった時代。選手は意見を言うことはなく、指導者の言われたことに集中、指導者は自分の経験則により
「チーム強化」を謀る。
その後、時間が進むと海外からの情報流入が激しくなり、指導者は外圧的な「教え」から、選手(このころからアスリート)の内的動機を芽生えさせ目的に向かって「導く力」が必要になってくる。併せてアスリートにも「何がしたい」を明確にする必要が出てきた。例えば、買い物に出かける際、何を買うか決めるのはアスリート(昭和の時代はこれすら叶わなかった)、移動手段を選ぶのもアスリート、バスかタクシーか電車かはたまた飛行機か、その際の運転手・操縦士が指導者にあたる。企業(組織)は腕の立つ運転手(指導者)を雇う必要がある。でなければ会社が潰れる。運転手の評判が悪ければ顧客を失い、経営が成り立たなくなる。ただし運転手はデパートや店の前までは顧客を運んでも、売り場まで付いていくことはない。ましてやこの品物を買いなさいなどと言うはずもない。
組織(企業、クラブ、競技団体など)はアスリートを獲得するためのVISIONを示す必要がある。何を目指す(何を売る)組織なのか分からなければアスリートはその組織を選べない。選ばない。
指導者は、その組織を選んだアスリートがチームの成績目標を踏まえた上で、アスリートが望む目標や目的地まで安全かつ迅速に「運ぶ」ことが求められる。
アスリートに至っては、チームに入った、指導者の言う通り動いた、だけでは十分な働きができない。なぜならばライバルは突然目の前に現れる。モタモタしていると、買いたいものが買えなくなる。買いたいものすなわち「成りたい自分」。
チームも指導者もアスリートが「表明」しない限りサポートのしようがない。
「意思決定」はアスリートに与えられた最大の武器である。この武器は、いつも傍に置いてしっかりメンテナンスを施し、他人に持っていかれないように管理する必要がある。
むかし一人の代表選手がいた。その選手は気が弱く、実力がないことはわかっていたが、なかなか意思表示ができず、行動は周りに迷惑かけないように、がその選手の最優先。なりたい自分なんて事は考えてもみなかった。周りに合わせることばかり考えていた。
そんな中、いよいよオリンピックの最終メンバー選考の時期になった。何とか残って所属の会社やチームから認めて貰うように頑張ったが時すでに遅し。ユーリティー、コンビニエンスと揶揄されてきた選手は結局のところ「特徴のない」ままで、最終選考から外れオリンピックに出場叶わず。
是非とも皆さんは同じ轍を踏まないように!